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鳥居

似通った設定だと必ず絵も似るのか

 似通った設定だと必ず絵も似るのか、第三の作品を例に考える


 仮に、設定に共通点が何点もあったせいで、必然的に絵も似てしまったのだと仮定してみる。だとすれば、同様に設定に共通点が何点も見いだせる漫画であれば、絵が似ていて然るべきだということになるだろう。真剣に研究するならば、世界中の漫画から設定に共通点がある漫画を選び出し、比較しなければいけないのかも知れないが、世界中の漫画を調べることは不可能……それどころか、日本の漫画に限定しても無理だろう。
 そこで、私の知っている漫画の中からこの二作品と似通った題材を扱っている漫画1作品を取り上げ、題材が似ることで画面の構成等まで似るのかということを考えたい。

 手持ちの漫画の中から「話の類似点」の際に少し触れた池田さとみ著『外科医東盛玲の所見』9巻所収「眠り」という作品を例に挙げてみる。


 池田さとみは随分昔から描いている漫画家のようで、私にはプロフィールがよくわからない。小学館フラワーコミックスからは『オン・エア』『B/W』など、朝日ソノラマ眠れぬ夜の奇妙な話コミックスからは『アルジャーノンにゆりかごを』のような不思議な話、レディースコミック(性行為に重点を置いていないが大人の女性向けなのでこのカテゴリだろう)としては『適齢期の歩き方』『太陽娘(ティダ・ネーネー)』などがある。活動している出版社も雑誌も特に決まってはいない。

 『外科医東盛玲の所見』は、『霊感商法株式会社』と同じく『アップルミステリー』誌に掲載されていた漫画なので、対象としている読者は『霊感商法株式会社』とかさなっている。
 シリーズは霊を見ることができる外科医・東盛玲を主人公とした短編連作で、基本的には一話で物語は完結している。一見するとタイトルは医療物のように見えるかもしれないが、実際は妖怪や幽霊が出てくる不思議な話となっている。
登場人物は数人を除いては一度きりの登場であることが多く、そういったシリーズ全体の形態が『霊感商法株式会社』や『闇は集う』と共通している。


「眠り」
 主な登場人物は、シリーズ通しての主人公である東盛玲、大学生の兄和夫、幼い妹洋子。

 物語は、和夫の魂から東盛がある物を渡して欲しいと預かるところから始まる。
 場面は変わって、全快して、子供達にサッカーを教えている和夫が、東盛に礼を述べている。だが、話している内にだんだんおかしな点や非現実的な面を自覚してきて、和夫は東盛の問いに答えられなくなっていく。
 東盛が、冒頭で和夫に託された物を、目の前の和夫の姿をした人物に渡したのをきっかけに回想シーンにはいる。

 クレーンゲームで卵形の携帯ペット育成ゲーム(要するにた○ごっち)をとってもらい、それに夢中になっていた洋子は車が来たことに気付かず、洋子を庇った和夫は病院に運ばれる前に洋子の目の前で既に死んでしまっていた。兄が自分のせいで死んでしまった事を受け入れられなかった洋子は、命はとりとめたけれど交通事故の日から49日の間眠り続け、夢の中で兄の生きている世界を創り出し自らが兄を演じていた。夢の中で東盛から、「和夫に渡すよう頼まれた」という卵形ペット育成ゲームを手渡されたことで、兄の死を受け入れて、洋子は目を覚ます。


 「眠り」の掲載誌は単行本に記載されていない為不明。単行本が1998年8月10日付けで初版発行されているので、それより数ヶ月前ではないかと思われる。(つまり、『霊感商法株式会社』「七週間」→『闇は集う』「闇にその名を呼べば……」→『外科医東盛玲の所見』「眠り」の順に発表されたと思われる。)

 取り上げた「眠り」という作品に使われている題材では、仲の良い兄妹、兄の交通事故死、妹が兄の死を受け入れるまでの物語という点で共通している。兄(の姿をした妹)が子供達にサッカーを教えているシーンがあるので、「兄はサッカーをしている」という点も3作品に共通すると言えるかも知れない。
 だが、サッカーを教えているシーン2ページほどを見てみても、「七週間」あるいは「闇にその名を呼べば……」のサッカーをしているシーンといちじるしく似た絵は見当たらない。

 兄が交通事故にあう回想シーンをみてみる。「七週間」では妹は兄と年が近く事故現場には居合わせておらず警察で身元確認をしてショックを受けるのだが、「闇にその名を呼べば……」では、妹は当時まだ幼く年の離れた兄は妹の身代わりに、目の前で車に轢かれて死んでしまう。『外科医東盛玲の所見』「眠り」では、幼い妹と大学生の兄と年齢差があり、2人とも車に轢かれるが妹をかばった兄は、轢かれて倒れている妹の目の前で死んでしまう。

 設定が似ていれば絵も必ず似ると仮定した場合、「眠り」と「闇にその名を呼べば……」の兄の交通事故死シーンは、どちらも妹と兄の年齢が離れており妹を庇った為に兄が妹の目の前で死んでしまうというかなり似た状況であるのだから、絵も似ていなければならない事になる。だが実際の所、ポーズや構成が資料画像1~6と同程度、或いはそれ以上に似ているように思われる絵はない。(私の感覚ではないように思えるが両作品を見比べてみて異論のある方は掲示板かメールにてご意見をいただきたい。)

 この例をみると、設定が似ていることによって、絵も「必ず」似るとは言えない。






小説の漫画化作品で考える


 極端な例を挙げるとどうだろうか。昨今、角川書店などで、小説やドラマの漫画化をよく見かける。初めて漫画化される物も多いが、中には、過去にも漫画化されたことがあり、あらためて別の漫画家の手により漫画化されている作品がある。
 例えば、横溝正史の『獄門島』はささやななえ(ささやななえこ)とJETが漫画化しているし、『犬神家の一族』もつのだじろうとJETが漫画化している。松本洋子が手がけた作品で言えば『ぬすまれた放課後』が、赤川次郎の『死者の学園祭』漫画化であるが、同じ『死者の学園祭』を原作に原題のままで、あきよし菜魚も漫画化している。

 これらは、同一の小説を下敷きに描いているので、多少漫画家のアレンジが入るにしてもおおむね同じ設定、同じ話になる。設定が若干似ているなどと言う次元の話ではなく、物語の筋書きが同じこれらの作品では、両者の絵が著しく似通っているだろうか。小説中では指定されていない登場人物のポーズやコマ割りが、同じになるだろうか?
 答えは「否」である。少なくとも、数作読み比べてみて、私はそう思う。流石に、上記作品の全ページをここに挙げて、ほら似ていないでしょうとやるわけにはいかないので、描いている漫画家が違うが、原作は同じ作品という漫画を持っていて、且つ、物好きな方は二冊並べてめくっていって欲しい。著しく似通っているページはまず見つからないと思う。


 『獄門島』『犬神家の一族』『死者の学園祭』と私が所持している作品中から3例を上げたが、このなかで、『犬神家の一族』は片方はおそらく劇画であり、もう片方が一応少女漫画家の作品なので、比較するには毛色が違う。『死者の学園祭』は双方少女漫画だが、片方が全2巻、片方が全1巻なので、同じ話を描いていても端折ったり詰め込んだりしていて比べにくい。『獄門島』は双方一応少女漫画家の作で全1巻、犯人・動機・トリックが変わってしまうほどはアレンジされていないので、この三作品の中から一作を選んで比べるのなら、これが一番適していると思われる。



『獄門島』横溝正史 角川文庫 昭和52年5月20日三十一版発行 
 『獄門島』原作横溝正史 漫画ささやななえ 小学館フラワーコミックス 昭和53年9月20日初版第一刷発行 別冊少女コミック 昭和52年7月号より連載
 『獄門島』原作横溝正史 漫画JET 角川アスカコミックス 1990年12月17日初版発行 1990年増刊「ASUKA」ミステリーDX号掲載


 全ページをめくってみて、私が似ていると思ったシーンはこれらのシーンである。
 
 
ささや/JET その1 足元

 1ページの画面を横長に区切って、上のコマでは着物を着た二人分の足だけのアップが廊下を歩く絵に「キャッ キャッ」という手書き文字をそえてあり、下のコマでは一人の後ろ姿の背中をコマの中心に持ってきている。
 2作巻の絵が似ていると言っても、ささや版ではふきだしでつま先が欠けてしまっているが、JET版ではふきだしでかかとが欠けてしまっているなどの違いがある為、そっくりとまでは言いにくいし、無論トレースや模写ではなさそうに見える。  このシーンの上のコマは、原作において
がやがや、ばたばた、騒々しい声と足音がしだいにこっちへ近づいてくると、(以下略。原作第2章「ゴーゴンの三姉妹」27ページ)
と言うくだりがある為に、「騒々しい声」=「キャッ」という手書き文字、「足音」=足だけのアップというように漫画化され、下のコマは、原作において、
「……わての帯、これでええのン」(原作第2章「ゴーゴンの三姉妹」26ページ)
というセリフがあった為に、「帯」=背中がコマの中心に配置されたのではないかと思われる。原作では帯→足音の順に描写されているが、漫画版では双方とも、足もと→帯の順に描かれているのが気にならないではないが、原作の描写に拠った結果、2作間の絵が似たのではないかと思う。
 
 原作に描写されていない部分が似ていると思ったシーンだとこの位だろうか。  
 
 
ささや/JET その2 背中


 金田一が鬼頭の家に到着したシーンで、絵自体は金田一が向かって左・女性が向かって右に描かれており、荷物を受け取っているという点でしか似ていない。だが、そこだけ見て特に似ていないと言う勿かれ、原作の小説では、彼女が和尚さんの着物を受け取る描写はあっても、金田一の荷物を受け取るという描写はない。当然、彼女と金田一の「どうぞ」「あ ど どうも」というやりとりも原作にはない。(原作第2章「ゴーゴンの三姉妹」。23ページ前後参照)
 
 半ば身内の和尚の着物だけを受け取り、客人である金田一の荷物は持たせておくのはおかしい、と両漫画家ともに思ったのかも知れない。その場合、言葉がすらすらと出てくるタチでない金田一には「すみません」や「どうも」より「あ ど どうも」位に間をおいたセリフが相応しいと考えた結果であろうか。なにはともあれ原作にない行であるのにセリフや人物の配置が類似している。
 
 
 
 「眠り」のように話の設定や状況が似ていても絵は似ていない場合があり、『獄門島』のように同じ小説を原作とした漫画2作品・各200ページ弱から似ているシーンをさがしてきてもこのくらいの類似であったりする事から、設定の類似があるからと言って、必ずしも絵まで似るわけではないと私は考える。ただ、『獄門島』資料画像2のように小説には描写されていないにもかかわらずセリフまで類似したシーンがあったことから、「必ずしも似るわけではない」というだけで、「偶然では決して似ない」とまでは考えていない。
 
 
 
(獄門島資料画像2のやりとりについては、JETがささやななえを参考にしたという可能性、両漫画家が映画版・テレビ版を参考にした等の可能性もあるが、確認できない為ここでは考えず、偶然として扱う。)
 
 
 
 
 
 
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